バケツ

言葉を吐きます

くじらの歌

くじらの歌

 


僕はくじらの歌を聴くのが好きでした。

くじらの歌は、村の西側に面した海に竹などを切って中をくりぬいた筒をつくり、それの先を海面に浸してもう片側を耳を当てることで聴くことができました。

くじらの歌はある日はゴオオオといううなり声のようなものであったり、ある日は草笛のような美しい音色であったりしました。

 


しかしくじらの歌と言っても、僕は本当にその音たちがくじらが歌っていた声なのかは知りません。

僕たちの村では、海の中心にはくじらという大きな魚がいて、そこから沢山の魚たちが生み出されたり波を起こしたりするとされていました。

ですので、海の中から聞こえる不思議な音たちは全てくじらが歌っているとされていたのです。

 


もちろんほかの村人もそのことは知っていましたが僕以外は、誰1人してその話題を口にすることはありませんでした

村人にくじらの歌の話をすると、未だにそんなこと気にしているのかとバカにされるだけで、僕は変人扱いされていたくらいです

 


くじらの歌にはだれも興味が無かったのです。

しかし、それも仕方のないことでした。

平和な村でしたし、ここから出ようとする者はいません。

外からきこえるくじらの歌を聴いていたところで、何か意味があるとは思えません。

それよりも村の中でのことに皆の興味が向いていて、やれ誰かがこんなことドジをしたや、誰かより他の方が腕っぷしが強いという自慢などか話題の中心でした。

でも、そのような大抵のことは僕にとってはあまり関係がない話のように思えました。

 

 

 

 


ある日、僕は干物作りの仕事を終えていつものようにくじらの歌を聴きに海岸へ行きました。

竹筒を海につけて耳を当てます。

そのとき、すごく曖昧なのですが、何か嫌な予感がしました。

これまでに聞いたことの無いような低い音が竹筒から聞こえたからです。

低い音は徐々に大きくなっていき、竹筒が軽く振動するほどに大きくなったとき、僕はこれから何か大きなことが起きるに違いないと確信しました。

 


僕は海から離れ、近くの低い山に走りました。

無我夢中で、足に切り傷がいくつ出来たかわかりません。

山の頂上に着いたとき、大きな揺れと共に樹木の倍ほどの高さがある大きな波が海岸に押し寄せ、全てを飲み込んで行きました。

家々は崩れ、人々もそれと共に流されていきます。

恐ろしい光景でした。跡には何も残っておらず、そんなことすっかり忘れてしまったとでも言いたげに静かな波が打ち寄せていたのが印象的でした。

 


そして、僕だけが生き残りました。

木の残骸で小さな小屋をつくり、釣った魚を食べ、眠りました。

今も変わらず、僕だけがくじらの歌を聴きに海へ行きます。

宇宙を飼う羊たち

椅子に座った少女は横に浮遊しているサッカーボールほどの銀色の球体に向けて呟いた。

「ねえ、ハル、喉が渇いたわ」

「かしこまりました。リサさま」

浮遊している球体は抑揚の無い音声を発し、音を立てずにキッチンの方へ向かった。

しばらく水の流れる音が聞こえ止むと、音も立てずに球体は少女の前に移動し、その下部が少し開いてコップが透明なガラスの机に置かれた。

「どうぞリサさま」

「ありがとう」

もはや人間のパートナーは人間ではなく、高度のAIを搭載したロボットになっていた。

結婚制度は廃止され、母親がAIによって選ばれ人口子宮で作られた養子の子供を引き取り、決められた集合住宅のような住居の一室で成人するまで育てるというシステムが一般的になっていた。

 

「こらこら、そんなことまでハルに頼るんじゃ無いの。人間らしく自分で動かないと」

 

母はリサにいつも「人間らしく」と言う。しかしリサには人間らしさと言うものがよくわからない。

ただ自分がここにあり、生きて、思考している。

それこそが人間らしさであり、母の言う、やらなくていいことをわざわざやるということが人間らしさだとは到底思えないのだ。

それにこの、外部の音すら殆ど聞こえない閉鎖された空間で生きることは果たして人間らしいと言えるのか

リサは口には出さないが数ヶ月前からずっと疑問に思っていた

 

「リサ、そろそろ半年に一度の定期健診よ。ハルに診てもらって」

リサはため息をつく

「ママ、私あの装置は嫌い。頭の中を覗かれるなんてやっぱりおかしいわ。思想は自由であるべきよ」

「そうかもしれないわね、でも、過去に様々な思想を持った人類が世界に存在したことで、沢山の争いが起こり死者が出たことは知っているわね」

「それは知ってるけど」

「あなたが自由な思想を持つことで誰かが苦しむかもしれないの。それでも自由な思想が大事だと思う?」

「うーん、、、」

「それとも、"工場"にいく?」

「それは嫌だ」

「じゃあ、入るのよ」

リサは"工場"がこわいのだ。それは最も、同じように育てられた子供全てが持つ共通の認識でもあるのだが。

 

母が指差した先には、棺のようなものが立ててある

ちょうど2mほどの高さで、天井に届くほどだ。

中にはリサの体には大きいが、大まかな人の形にくり抜かれた白いクッションが入ってある。

リサがその中に体を埋めると、クッションがゆっくり膨らんでリサの体ぴったりの大きさになった。

 

音も立てず棺の扉が閉まると、中は真っ暗になった。

どこからか空気の漏れるような音が聞こえると、リサはだんだんと心地よくなり、眠くなってきた

「ママ、、、やっぱり私、、、」

 

言いかけたところで、リサは意識を失った。

球体のハルはその下部からケーブルのようなものを出すと、それを棺の横の端子に接続した。

母はテーブルからコップを台所に移動させて、スポンジに洗剤を含ませて洗い始めた。

 

 

 

しばらくすると、棺の扉がひらき、リサが眠そうな目をこすりながら出てきた。

「どうだった?」

母はリサに優しげな笑みで尋ねた。

「ママ、私が間違ってた。やっぱり、人の思想は自由であってはいけないわ。争いは差異から生まれるもの。そして、争いは何も生み出さない。さっきはごめんなさい」

「それでいいのよ」

リサはゆっくりとテーブルに着くと、母の淹れたコーヒーに砂糖を入れ、飲み始めた。

フゥと息をつくと、欠伸をして、首を回した。

そろそろ何をすれば人間らしいのか、ハルに聞かないと。

僕に残されたもの

僕に残されたもの

 

僕はお風呂上がりにパンツ一枚だけでベランダに出てタバコを吸うのが好きだ
何か少しいけないことをしているような、この世界から隔離された空間に冒険に行くような、不思議な気持ちになる。

 

今は夏なので、蚊取り線香を足元に置くようにしている。
目の前を蚊取り線香の煙が通ると、まるで燻製になっているような気持ちになる。


今日もいつものように、お風呂上がりにベランダに出て、蚊取り線香に火をつけて、そのあとにタバコに火をつける。
ベランダの柵に肘を乗せてもたれかかって、ゆっくりと呼吸をする
隣の民家からシャッターの閉まる音や車のエンジンの音、テレビの音が少しずつ聞こえてくる
気づくと、セミの鳴き声があまり聞こえなくなった。空が暗くなるのが早くなった。街灯の光がより明るく見えるようになった。
ももう終わりなのだ。あんなに鬱陶しいと思っていたのに、夏の終わりはどこか寂しい。まだ、暑さは続くのだろうけど。

 

見上げるとわずかに星が見えるが、田舎の山奥で見た星空には叶わないなと思う。
人は一度素晴らしい経験をすると、それ以下のことは楽しめなくなってしまうのだ。
そうして人は大人になっていくように思う。

 

ゆっくりと、まるでワインのソムリエのように、その味を確かめるように、タバコを吸う。
最初は苦かったり甘かったり感じていたタバコが、ほとんど甘く感じるだけになった。
それはだんだんとタバコの苦味がなくなって行く感覚を舌が甘いと判断しているだけなのかもしれないし、僕の味覚がその甘さを感知できるようになったのかもしれなかった。
ただそれは、どちらでもいいことなのだ。

 

一息つき、もう一度タバコをくわえ、ふうと息を吹き出すと、太ももあたりに、チクリとした感覚がした。
見下ろすと、一匹の蚊が立ち上がる蚊取り線香の煙の中、僕の足に止まっていた。
普通は蚊に刺されても気づかないが、蚊取り線香の煙の中という蚊にとっては苦しい状況で刺したから力のコントロールができず、思い切り僕の足を刺してしまったのだろうかと、ぼんやり考える。
そして息を吐くと、その考えはタバコの煙と一緒にどこかに消えていってしまう。

 

しばらく見ていると蚊はその腹部を一切動かさなくなり、ゆっくりと暗い地面に落ちて、見えなくなった。
この蚊は子孫を残そうとして、残すことに必死になりすぎて何も残せなかったのだろうか、とぼんやりと考える。
でもその考えも、すぐに吐き出したタバコの煙と一緒にどこかに消えていってしまう。
短くなったタバコを灰皿に擦り付けて火を消すと、窓を開けて自分の部屋に戻り、ベッドに身を預ける。

 

蚊が止まっていた太ももの箇所には小さな赤い腫れができて、そこにはしばらくの間、かきむしるほどでもない小さな痒みが残った。

おれはおれになりたい

おれは実体のない幽霊みたいだ
この世に存在しているはずなのに存在していないみたいだ
昔の友人のように怒って携帯電話を地面に叩きつけることすらできない
おれは弱い
濡れた体にクーラーの風がつめたい
そんな自分を冷静に見ている自分が暖かいことがつらい
結局自分を受け入れて欲しいだけでそのために嘘を平気でつくような人間になってしまった
人を喜ばせたいなんて嘘だ
うそばっかり
他人に嘘をつかず、自分に嘘 はついてた
嫌な人間だ
嫌な人間になんかなりたくなかった
でも嫌な人間になってしまった
良い人間になれてると思っていた
他人に何かを与える良い人間になれていると思っていた
自分になにもなければ他人に与えることなんてできないのだ
おれは弱い
つめたい目で見られることは辛いことなのにそれを良いことだと思い込もうとする
おれは弱い
自分が作り上げた偶像の中に生きている
おれは弱い
自分の意見なんてなに一つない
おれは弱い
死ぬ勇気すらない
おれは弱い
海に行って貝殻の音を聞いていたい
おれは弱い
朝日が見えないめくらになりたい
おれは弱い
明日が見えない
おれは弱い
渡された千円札を律儀に財布にいれる自分が嫌いだ
おれは弱い
こどものころからなにも変わっていない
おれは弱い
最後の最後まで人の機嫌をとろうとする
おれは弱い
人に嫌われたくない
おれは弱い
すべてが嘘に見える
おれは弱い
すべてを受け入れれば自分の存在意義があると思っている
おれは弱い
誰かに見られるのがこわい
透明になりたい
透明になれば体から湧いてくる蛆虫が見えない
透明になっていろんな物事をシニカルな目で見ていたい
おれは存在していないのかもしれない
他人からのイメージを自分に投影することでなんとか生きているだけの存在なのかもしれない
人間失格という本を思い出した
楽しさと強さと儚さと夢と希望と腐れと愛と明日と濡れたアスファルトの地面と静けさと暗がりと電柱と真実と言葉とたくさんの本と人から奪い続ける何かと胸の鼓動とどこかに行ってしまったこころと

そのすべてを抱いて眠りにつけたらと思う