バケツ

言葉を吐きます

四角い部屋

僕は四角い部屋の中で生きている。

いつからここにいるのかわからないし、どのくらいここにいるのかも不確かだ。
四角い部屋は大きくも小さくもなく、一面真っ白で、部屋の中には何もなく、ドアもなければ窓もない。
ただ1日に2度、天井に小さな穴が空き、食事とボトルに入った水が落ちてくる。
穴は食事を落とし終えると すぅ と閉じてしまい、何もないただの天井に戻ってしまう。
穴の先は真っ暗で、何があるのかもよく見えないし、また、見ようとも思わない。
壁を叩くと壁は少しばかり凹むが、どれだけ頑張っても決して破れることは無い。
凹みも気づけば元どおりになっている。
ここはどこなのだろう。

そして、そんな何もわからない中で生きて、どのくらいになるのだろう。

不安に襲われたときもあった。

ただ最近は、妄想くらいしか楽しみが無い退屈な生活だが、まあ、生きているのだからそれでいいではないか。と思っている。
ここに来る以前のはっきりとした記憶は無いが、例えば過去の恋人のことはなんとなく思い出せるし、思い出せば、暖かい気持ちになる。
野山の風景を思い浮かべれば安らいだ気持ちになり、妄想の世界では鳥にだってなれる。
お腹が空くことも無ければ、病気にもならない。
そんなこんなで、現状に特に不満はないのだ。
あえて言うならば食事が美味しくないことくらいだが、そこは気にしていない。

さてと、と一息ついて目を瞑り、そろそろ妄想に耽ろうかなと思っていると、ふと、聞きなれない音が聞こえた。
誰かの話し声らしい。
何かを叫んでいるような、呼びかけているような。そんな声。
自分の呼吸音と咀嚼音、物の落下音以外の音を聞くのは久しぶり、この部屋の中で生きて初めてだ。

ただ、何を言っているのかよく聞き取れない。
いや、本心では、聞き取ろうとも思っていない。
何か、不安のような、得体の知れない感情が僕の心を揺さぶっていた。
変化が怖い。今のまま、妄想に耽って過ごしたい、、、。

しばらく時間が経つと、声は消え、またいつもの静けさが戻った。
この静けさが落ち着くのだ。

僕はほっと溜息をつく。

四角い部屋に僕の呼吸の音だけが静かに響き、僕はまた、妄想の世界へと歩き出した。
僕だけの世界へ。





それから6度目の食事の後、また、部屋の中に声が響いた。
またか。と思い初めは無視していのだけど、段々無視出来なくなってきて、少しばかりの興味が湧き、ゆっくりと目を開けた。


すると、目の前に一本の太い紐がぶら下がっているのが見えた。
紐は天井に空いた穴から垂れてきており、これをよじ登れば、天井の向こう側の、この部屋の外の世界にいけると分かった。
外の世界はこれまで食事が落ちてくるときと違って、やけに明るい。
どうやら声も、穴の先から聞こえてくるようだ。

どうしようかと僕は迷った。

この紐をよじ登ればこの四角い部屋から出られるかもしれない。


僕はどうしたい。

出たいのか
出たくないのか


自分に問いかけるが、答えが出ない。
この部屋の中での生活に満足している自分。
この部屋から出たくないと思っている自分。

そういった自分が、紐から自分を遠ざけていった。

握り込んだ拳に汗が滲んだ。

しばらくすると紐は するする と天井に吸い込まれ、消えた。
天井に空いた穴は初めから無かったみたいに すぅ と閉じてしまった。

僕は安心したような何かを逃したような複雑な気持ちでまた目を瞑り、妄想の世界へと歩き出した。
僕だけの妄想の世界….。







夕暮れ時、とある病院の薄暗い一室で、医者が女性に話していた。
「我々の死力を尽くしましたが、どうやっても、息子さんの意識を取り戻すことはできませんでした、、、。神経を繋げる手術など試みましたが、だめで。これまでの前例から、回復できないはずはないのですが、まるで、息子さん自身が、こちらの世界に戻ってくることを拒んでいるかのような………申し訳ない。」
女性は目を見開いて5秒ほど停止したあと、言った。
「それじゃあ、息子はこのままずっとこの植物人間として生きていくんですか!?」
「ええ、、、」
女性はしばらく黙り込み、医者と女性との間に永遠とも取れるような長い沈黙が流れた後、拳を握り込んで、震える声で言う。

安楽死…ということは出来るのでしょうか…」

医者は女性から目を逸らす。
「お母さん、お気持ちはわかりますが、それは法律ではまだ認められていません。」
「じゃあ、私に風俗で働けいうんですか!?あの子を生かしておくだけでどれだけお金がかかるか…」
医者は渋い顔をして、深く息を吸い、吐き出すように言った。
「方法は、あるにはあります…」



女性は、ゴクリと唾を飲み込む。








あの、紐が降りてきた日からどれくらい時間が経っただろう。
今日も僕は、四角い箱の中で目を瞑り、妄想に耽っていた。

そんなあるとき、急に耳鳴りが聞こえ、箱が揺れ始めた。
何かが終わるような、不吉な耳鳴りだった。