いかちゃんの物語

twitter ID:ikashi283

桜並木の下で

日曜日の昼間、ある公園で、一人の男がチェーンソーを持ってそこに並んでいるうちの一本である、大きな桜の木を切ろうとしていた。

チェーンソーの”ぎゅいいいいん”という音が公園にけたたましく鳴り響いた。

 

「よしよし、油を差したから今日のチェーンソーは調子がいいな。しかし、これでようやくこの忌々しい桜の木を葬り去ることができる。」

 

男は、この桜の木に長年悩まされてきたのだ。

 

「この桜の木のおかげでうちの洗濯物は乾きゃしない。日が入らないせいでうちの庭は常に湿ってる。最近は軒下にわけのわからないきのこまで生え出す始末。そいつとようやくオサラバできるなんてこんなに嬉しいことはないぞ」

 

男は、太陽に顔を向けた。

さんさんにきらめく太陽が「これで、ようやく毎日顔を合わせられるね」と笑顔で語りかけてくるようだ。

「さて、いきますかね。」

男は桜の木に顔を向けニヤリと笑った後、チェーンソーの電源を入れた。公園にチェーンソーの音がまた、けたたましく鳴り響いた。

 

 

さて、その頃、公園の近くの道を走る、一つの自転車があった。

自転車には20前半の男が乗っており、スーパーの買い物袋を手に提げ全力で自転車を漕いでいた。

この桜並木がある公園は、彼にとって特別思い入れのある場所であった。

 

彼が高校生の時、みさこちゃんという意中の女の子がいた。

みさこちゃんはいつも何を考えているのかわからない不思議な女の子で、皆は避ける存在であったが彼にとっては特別な存在であった。

彼は卒業式前のある晴れた日、みさこちゃんをこの公園の、一番大きな桜の木の下に呼び出しこう言った。

「みさこちゃんの事、ずっと好きでした。付き合ってください」

するとみさこちゃんはまるで聞いていないと言った様子で「わあ、見て!鳥さんだ!」と鉄棒の横でで毛づくろいか何かをしている鳥の方を見て急に走り出した。

彼は「振られたんだ・・・」と思い、その目に溜まってきた涙がこぼれぬように上を向いた。

満開の桜の木が彼の目に飛び込んできて、鮮やかなピンク色と対照的に黒く沈んでいく彼の心の感覚を今でも思い出せる、

そして、この大きな桜の木の少しばかり大きな桜の花びらが、傷ついた心に落ちてきた絆創膏のようにひらひらと落ちて、彼の左の頬にそっと乗った。

鉄棒の方から走ってきたみさこちゃんは、彼の頬についた桜の花びらを笑った。

彼も涙を拭いて、一緒に笑った。

そして、花びらのついていない右の頬に軽く、彼女はその柔らかい”くちびる”を当てた。

 

まるでその瞬間だけ、世界がスローモーションになったようであった。

 

その後のことはよく覚えていないし、後にみさこちゃんと会うことは無かった。

みさこちゃんは今東京に行って、何かをしているらしい。

アダルトビデオでみさこちゃんに似てる女の子を見たという話を友人から聞いたことがあるが、深くは踏み込んでいない。いや、踏み込みたくないのかもしれない。

 

さて、そんな素敵な思い出を思い出しながら自転車を漕いでいると、公園の方からけたたましい音が聞こえた。

 

「やけにうるさいな・・・。なんの音?」

自転車を留め、荷物をハンドルにかけ、公園の入り口に入る。

 

 

 

するとそこにはチェーンソーを片手に、思い出の大きな桜の木に近づく男の姿があった。

 

 

「まてーーーーーい!!!!!!!」

 

 

彼は喉がはち切れんばかりの大声で彼に近づく。

 

「何やってんだ!!!これは僕と!!!僕とみさこちゃんの!!!思い出の木なんだぞ!!!」

 

「知るか!!!そんなもん!!!俺はな!!こいつにな!!ずっと悩まされてきたんだぞ!!俺の右足を見るか!!この水虫!!俺の家の中がジメジメしていて白癬菌の生育環境にぴったりになってるんだよ畜生!!」

 

「うるさい!!!そんなもの知るか!!!タムシチンキ塗りたくってりゃ大丈夫だろ!!!この桜の木はな!!!僕の人生だ!!」

 

「いっちょまえの男が過去の女に振り回されてんじゃねえ!!いいか!!教えてやる!!てめえはな、過去に目を向けることで現実から目を背けてるんだよ!!!だからそうやって過去に固執する!!!てめえに現実見せてやるよ!!!このチェーンソーの音!!!これがリアルだ!!!」

 

ヂュイイイイイイイイイイン!!!!

 

「うるさーーーーい!!!!これが僕の現実なんだ!!!それが正しいか正しくないか、僕が現実を見てるか夢を見てるかなんて知ったこっちゃない!!!今僕が見たいもの、見ているもの、それが現実なんだ!!!この桜の木がなくなったら僕は間違えなくうつ病になる!!あなたは僕をうつ病にする気なのか!?この木が切られたら僕は精神的なダメージを受けたということであなたに慰謝料を請求する!!!間違いなく!!!そうすればあなたは財産を失うことになる!!どうだ!?金という現実に目を向ければ、この桜の木を切らない方がいいだろ!!!」

 

「ええい!!屁理屈しか言えんのかお前は!!俺はな!!お前の何十倍もの恋をしてきたよ!!!だからわかる!!!お前はこの桜の木を切ったところでうつになんかならない!!!きっと落ち込むだろうが、落ち込むことがまた次に走り出せるきっかけになるんだ!!!俺はおまえの為にも桜の木を切る!!!」

 

ヂュイ ヂュイ ヂュイイイイイイン!!!

 

「やめろおおおおおおお!!!!!!それ以上刃を動かすな。絶対にだ!!!僕は前になんか進みたくはない!!現状に留まりたい!!!!あれ以上の恋なんてないんだ!!!あれ以上に美しい思い出なんてこれから先できっこない!!!これから先にあるのは!!!私利私欲にまみれた生々しいもんなんだろ!!!!」

 

「いいか、童貞のてめえに教えてやる!!!俺たちはそうやって生々しい大人の恋愛を知ってからこそ、本当の愛を知るんだよ!!!一生そのまま生きていくのか??ミヨ子ちゃんだっけか!?その女だって、今頃別の男の股と股ぶつけ合ってヒイヒイ言ってんのさ!!!」

 

「くっ・・・確かにみさこちゃんは別の男と一緒にいるかもしれない・・・!AV女優になっているかもしれない!!!でもな!!!あの時、あの瞬間のみさこちゃんは、僕の中でずっと生き続けてるんだよおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 

 

 

そう言うと彼はチェーンソーの男に殴りかかった。

男はチェーンソーを投げ捨て彼のパンチをかわし、彼のお腹にパンチをした。

彼は涙を目に浮かべ一瞬たじろいだが、すぐに体勢を立て直し男の腕に噛み付いた。

男は彼を払いのけ、背中に両手の鉄槌を叩き込む。

彼はひるまずに立ち上がり、男の股間をけり上げる

男はうめく。

そして二人は、にらみあう。

 

「てめえ・・・容赦はしねえ・・・」

「桜の木は、絶対に切らせない・・・」

 

その後しばらく続く二人の取っ組み合いを、大きな桜の木はずっと見下ろしていた。