いかちゃんの物語

twitter ID:ikashi283

夏の悪魔に会いに行く 1

夏の空気はいつだって無色透明だ
それまで曇ったレンズ越しに見ていた街並み、帰り道の電信柱、夜空の星々
その全てが、夏になるとはっきりとした鮮やかな色合いを持ち、おぼろげだった人やものも、その輪郭をあらわにする。
Tシャツに染み付いた汗を乾かす風はどこか柔らかく、月は空にぽっかりと開いた穴のように、ただそこに存在する。

そして夏はいつも、僕を寂しい気持ちにさせる
それはいつか夏が終わることがわかっていることからくる寂しさなのかもしれないし、あるいは、何か過去の夏にかけがえのないひと時を過ごしたからかもしれなかった。
寝室の扇風機の風の音も網戸越しに聞こえる虫の音も、ビートルズのミュージックプレイリストも、どれだけ鳴り響いても僕の寂しさを満たすことはできない。

 

 

僕は午後8時のカーテンを閉め切った六畳一間のアパートの部屋で、アコースティックギターの開放弦を一弦から六弦まで親指で撫でるようにゆっくりと鳴らした。音に何か違和感がある。きっと、また二弦あたりが狂っているのだろう。二弦は狂いやすいのだ。
次はゆっくりと弦一本一本の音を確かめながら音を確かめて行く。ちょうど二弦の音を鳴らしたとき、違和感のある音が響く。やっぱりか、と二弦をに繋がるペグをゆっくりと回して行く。もう一度二弦の音を確かめる。聞き慣れた音が響く。一弦も確かめると、チューニングが終わった。
そうすると僕はギターをベッドの上に放り出した。チューニングだけで満足してしまったのだ。

それに、僕には今から他にやらなければいけないことがあった。
そのために今日一日中準備をしていたのだ。と思い部屋の隅をみる。
部屋の隅に1m四方の大きな紙がある。そこには丸とバツとが組み合わされた複雑な図形が描かれていて、一見子供の落書きのようにも思える。
だが、これこそが僕が今日やらなければならないことの正体だった。

 

これを通じて、別次元に行くのだ。

別次元に行くと言うと頭がおかしくなったのだと思われるかもしれないが、僕はいたって真面目である。
この世には1次元から11次元の世界が存在しており、僕らが普段生きているのは三次元、普段はその上の次元を認識することはできない。
しかし、この図形を入り口としてその先に進むことで、5次元の世界にトリップすることができる。
5次元の世界には何があるのかと言うと、神話に出てくる天使や悪魔といった存在が居ると言われている。そいつらに会いにいってやろうと言うわけだ。

初めてこの存在を知ったのは僕がインターネットサーフィンをして居る時だった。
いつも見て居るホームページの端に別次元へのトリップについてまとめた記事があり、それを読み進めると一冊の本の名前が出てきた。
僕はその本を探し、そこに書いてある方法を試しているのだ。
本の終わりの方のページには一枚の図形とアルコールや植物から抽出した数種類のエキスを混ぜ、それを図形にかけることで別次元へトリップできると言うことが書いてあった。
僕は早速図形を書いて、山に行って植物を採取し、それを抽出しアルコールと混ぜ液体を作った。

 

それが僕が今右手に持っているコップに入っている液体だ。
これをかければ別次元へ行ける・・・。僕はごくりと息を飲んだ。
じっとりとした蒸し暑さの中で額を汗の水滴が覆った。
そして、ゆっくりと図形の上にコップを持っていき、コップを傾け図形を上に液体をかけた。


瞬間、図形が瞬く間に光り出した。
光は大きくなって生き、僕は光に包まれる。
僕は息を飲む。目の前が完全に光で包まれ、意識が遠のいて行く。
遠のいて行く意識の中で、何者かのケラケラとした笑い声が頭の中に響く。
それと同時に、莫大なイメージが僕の頭の中に飛び込んできた。森の映像や空の映像、見たこともない複雑な図形や猫、子供の頭、たくさんの種類の帽子。それらは制御しきれずに高速で僕の頭をパレードみたいにぐるぐると回り続けた。
目は開いて居るはずなのに、それらのイメージしか見ることができない。
”見ている”のかすら定かではなかったがーーー。
そしてイメージの中、遠のく意識の最後に見たのはモノクロで描かれた、会ったこともないニヤリと笑うロングヘアの中年女性の顔だった。


光が消えた六畳一間の部屋には、ただ濡れた大判の白紙の紙としっとりとした静けさだけが残った。