バケツ

言葉を吐きます

カマキリの恋

蝶に恋をしたカマキリの話し


あるところにカマキリがいた
力強く太い鎌を持ち、他の同種の追随を許さぬほどの強さであった。
しかし、どこ種にも突然変異というものは起こるもので、そのカマキリは同種に対して一切の性欲を見出すことができなかった。
その代わりカマキリが性欲の対象として見出したのは、蝶である。
ひらひらと美しく舞う蝶の姿を見てはカマキリは性的興奮を抑えきれなくなるのだ。

交尾に対する性欲は人間で言う 恋 のようなもの
カマキリは蜜を吸いにくる蝶を待ち伏せてはいつもその恋心をぶつけようとする

それは人間で言う 抱きしめたい という気持ち。

今日もカマキリは花の近くで待ち伏せ、蜜を吸いにきた蝶を、その太くたくましい二本の腕で抱きしめる
抱きしめられた蝶は二本の腕から逃れることができず、もがくことすらできず己の運命を悟る
カマキリの性欲が独占欲に、そして食欲に変わって、気づけば蝶をむしゃむしゃと食べる
カマキリは己の中の虚しさに気づかず、満たされた空腹と満たされぬ恋心を抱えたまま、また蝶を見ては心をときめかせるのだ

ああ、なんと哀れなカマキリであろう

子殺し

夏、日差しが照りつけて、アスファルトの上に陽炎を描く。

少年は風通しの悪い蒸し暑い部屋で、自宅に篭って、どこにもやり場の無い性欲を1枚のティッシュにぶつける。

むき出しの欲望はゴミ箱の中に吸い込まれるように消えて行ったようだが、ゴミ箱の中を覗き込めば、そこにはしっかりと欲情の痕跡が残っている。

少年はそんなことすっかり忘れて、テレビゲームに没頭する。

何度もクリアしたゲームだ。

だけど、また繰り返す。始めから。

愚かしいほどに。


でも、それは悪いことじゃない。

そこには完結した少年の世界がある。

ちっぽけで情けなくてくだらないが、しっかりとした完結した世界だ。

どこにも行けないし、行く必要の無い世界だ。

だから私は、何も言うまい。



欲情の痕跡の香りに、蝿が集る。

小さな蝿だ。

小さいが生きている。

小ささ故に、その命のサイクルは短く、早い。


少年の欲情の中に宿った命の欠片を貪った蝿は、自らの子孫を残すために、卵を植え付けた。

その卵の中には、希望も何も無い。

ただ、また同じことを繰り返すようプログラムされた、圧倒的な現実があるだけだ。



少し日が経って、卵が孵る。



そして、現実を背負った蝿が飛び立つ。

一定の香りに向かうようプログラムされただけの存在。

ロボットと何が違うのか。

その答えは誰も知らない。


そして、蝿が飛び立って、数秒後。


部屋にいた少年は飛んでいる蝿を見つけ、両手の平で、その小さな命を潰す。

手についた蝿の死骸を振り落とし、ペットボトルの炭酸飲料を口にする。


達成感のような何かが少年の感覚に響き、また少年は、プログラムされたかのようにテレビゲームに向かう。

幸福なホームレスと不幸なサラリーマン

幸福なホームレスと不幸なサラリーマン


あるところにホームレスがいました。
彼には家もお金も何もありませんでしたが、日々の生活に多福感を感じていました。
木々のざわめきや人々話し声、照りつける太陽、アスファルトのにおい。
そういったものがあるだけで彼は満たされるのでした。
ゴミをあさり、公園の水を飲み、路上で寝る。
それでも彼は街ゆく人に劣等感や恨みは感じず、ただ生きていることに感謝し幸福な日々を送っていました。




あるところにサラリーマンがいました。
彼は上場企業のエリート社員であり、常に時間に追われる日々を送っていました。
モデルのようにキレイな奥さん、今年で4歳になる息子と2歳の娘がおり、都内の閑静な住宅街のマンションの一室に住んでいますが、決して奥さんとの仲は良くなく、家にほとんど帰らない為、息子や娘からは特に興味を持たれていません。
よく考えれば奥さんと結婚したのも
「キレイだから、周囲から羨望の眼差しを受けるだろう」くらいの理由で、特に愛があるわけでもなく
また奥さんも「この人はお金持ってるから少なくとも食に困ることは無いだろう」といった理由で結婚したため、特に彼に対して愛があるわけではありません。
彼はふとした瞬間になんのために働いているのか分からなくなりますが、仕事をして気を紛らわせ、時間に追われる日々を送っています。

ある日の朝、今日も照りつける日差しが彼を苛立たせ、不味い缶コーヒーを飲んだ後、仕事に向かいます。
仕事に向かう途中、駅の隅に座り込んであくびをしている小汚い男がふと目に入りました。
彼は心の中で
「ホームレスか。あんな生活するよりは、結婚もして、キレイな奥さんもいて、子供もいる。絶対俺の方が幸せだな。よし、仕事頑張ろう」
と自分を奮い立たせ、改札口へ歩を進めました。
さあ、一日の始まりです。



サラリーマンがそんなことを思っている中、駅の隅に座り込んだ小汚い男は
「色んな人がいるのだなあ。面白いなあ。」
と、改札に向かう人々を眺めて、なんとなく幸せな気持ちに浸っていました。
そして、しばらく人々と眺めると
さて、何をしようか、空き缶でも集めようか。とゆっくりと立ち上がったのでした。

四角い部屋

僕は四角い部屋の中で生きている。

いつからここにいるのかわからないし、どのくらいここにいるのかも不確かだ。
四角い部屋は大きくも小さくもなく、一面真っ白で、部屋の中には何もなく、ドアもなければ窓もない。
ただ1日に2度、天井に小さな穴が空き、食事とボトルに入った水が落ちてくる。
穴は食事を落とし終えると すぅ と閉じてしまい、何もないただの天井に戻ってしまう。
穴の先は真っ暗で、何があるのかもよく見えないし、また、見ようとも思わない。
壁を叩くと壁は少しばかり凹むが、どれだけ頑張っても決して破れることは無い。
凹みも気づけば元どおりになっている。
ここはどこなのだろう。

そして、そんな何もわからない中で生きて、どのくらいになるのだろう。

不安に襲われたときもあった。

ただ最近は、妄想くらいしか楽しみが無い退屈な生活だが、まあ、生きているのだからそれでいいではないか。と思っている。
ここに来る以前のはっきりとした記憶は無いが、例えば過去の恋人のことはなんとなく思い出せるし、思い出せば、暖かい気持ちになる。
野山の風景を思い浮かべれば安らいだ気持ちになり、妄想の世界では鳥にだってなれる。
お腹が空くことも無ければ、病気にもならない。
そんなこんなで、現状に特に不満はないのだ。
あえて言うならば食事が美味しくないことくらいだが、そこは気にしていない。

さてと、と一息ついて目を瞑り、そろそろ妄想に耽ろうかなと思っていると、ふと、聞きなれない音が聞こえた。
誰かの話し声らしい。
何かを叫んでいるような、呼びかけているような。そんな声。
自分の呼吸音と咀嚼音、物の落下音以外の音を聞くのは久しぶり、この部屋の中で生きて初めてだ。

ただ、何を言っているのかよく聞き取れない。
いや、本心では、聞き取ろうとも思っていない。
何か、不安のような、得体の知れない感情が僕の心を揺さぶっていた。
変化が怖い。今のまま、妄想に耽って過ごしたい、、、。

しばらく時間が経つと、声は消え、またいつもの静けさが戻った。
この静けさが落ち着くのだ。

僕はほっと溜息をつく。

四角い部屋に僕の呼吸の音だけが静かに響き、僕はまた、妄想の世界へと歩き出した。
僕だけの世界へ。





それから6度目の食事の後、また、部屋の中に声が響いた。
またか。と思い初めは無視していのだけど、段々無視出来なくなってきて、少しばかりの興味が湧き、ゆっくりと目を開けた。


すると、目の前に一本の太い紐がぶら下がっているのが見えた。
紐は天井に空いた穴から垂れてきており、これをよじ登れば、天井の向こう側の、この部屋の外の世界にいけると分かった。
外の世界はこれまで食事が落ちてくるときと違って、やけに明るい。
どうやら声も、穴の先から聞こえてくるようだ。

どうしようかと僕は迷った。

この紐をよじ登ればこの四角い部屋から出られるかもしれない。


僕はどうしたい。

出たいのか
出たくないのか


自分に問いかけるが、答えが出ない。
この部屋の中での生活に満足している自分。
この部屋から出たくないと思っている自分。

そういった自分が、紐から自分を遠ざけていった。

握り込んだ拳に汗が滲んだ。

しばらくすると紐は するする と天井に吸い込まれ、消えた。
天井に空いた穴は初めから無かったみたいに すぅ と閉じてしまった。

僕は安心したような何かを逃したような複雑な気持ちでまた目を瞑り、妄想の世界へと歩き出した。
僕だけの妄想の世界….。







夕暮れ時、とある病院の薄暗い一室で、医者が女性に話していた。
「我々の死力を尽くしましたが、どうやっても、息子さんの意識を取り戻すことはできませんでした、、、。神経を繋げる手術など試みましたが、だめで。これまでの前例から、回復できないはずはないのですが、まるで、息子さん自身が、こちらの世界に戻ってくることを拒んでいるかのような………申し訳ない。」
女性は目を見開いて5秒ほど停止したあと、言った。
「それじゃあ、息子はこのままずっとこの植物人間として生きていくんですか!?」
「ええ、、、」
女性はしばらく黙り込み、医者と女性との間に永遠とも取れるような長い沈黙が流れた後、拳を握り込んで、震える声で言う。

安楽死…ということは出来るのでしょうか…」

医者は女性から目を逸らす。
「お母さん、お気持ちはわかりますが、それは法律ではまだ認められていません。」
「じゃあ、私に風俗で働けいうんですか!?あの子を生かしておくだけでどれだけお金がかかるか…」
医者は渋い顔をして、深く息を吸い、吐き出すように言った。
「方法は、あるにはあります…」



女性は、ゴクリと唾を飲み込む。








あの、紐が降りてきた日からどれくらい時間が経っただろう。
今日も僕は、四角い箱の中で目を瞑り、妄想に耽っていた。

そんなあるとき、急に耳鳴りが聞こえ、箱が揺れ始めた。
何かが終わるような、不吉な耳鳴りだった。